不確かな情報を避けた官邸が「情報隠し」と吹聴された?
2012年3月25日
宇佐美 保
前文≪東電の無責任、決死隊の皆さん有難う御座いました≫に続き、『報道ステーションSP「メルトダウン5日間の真実」』を引用させて頂きます。
一方、官邸に対しては、「官邸の情報コントロール」が存在したのではとの非難が上がっています。 先ず、メルトダウンに関する官邸の情報コントロールの有無に関してです。 炉心溶融(メルトダウン)が始まっていると、独自の分析を基に判断した原子力安全保安院だ。 そして、原子力安全委員会・保安院 中村幸一郎審議官は“燃料の溶融が始まっているとみている”と会見で発表した。 メルトダウンを認めたこの発言が総理官邸で問題になっている。 原子力安全委員会班目委員長“何か保安院の方は情報を持っているらしいというので、官邸の方は相当ざわめいたというのか、「どうなっているのか」と保安院の人間に問い詰めていました” これ以降、保安院は重要な発表は事前に総理官邸に了解を得ることにした。 同じ日の夜、中村の姿はなく、中村の発言は否定された。 (別の方が次のように語っています。) 1号機の水素爆発の発表も保安院は官邸ともいろいろ調整していまして、いま情報を集約中です。今回の会見は延期させてください。 政府事故調査・検証委員会 吉岡斉委員 “政治的にできるだけ重大なことが起こっているという事実を先送りしようと、政府の対応能力がなかったから、その対応能力不足に合わせて、情報を先送りしたように思います。” |
私には、吉岡氏の推測は、穿ち過ぎに思えます。
当時の状態で、いくら時間をかけても最適な(最適ともゆかず、それに近い)対応など不可能だったと存じます。
(今からなら「後出しジャンケン」でなんとでも言えます)
それよりも次の発言に真意を見ることができます。
福山哲郎官房副長官(当時)
“官邸に情報が上がってきていない中で、保安院が一方で会見するなどというのは、僕らから言うと、あまり考えられないです。” |
米国も、事故後の日本側からの情報不足に悩んでいた。
ルース米国大使は、
“私達の唯一の目的は最高の情報を得られる立場にいる事でした。米国にとって、リアルタイムの情報を得ることが重要だったのです。2次情報や3次情報ではなくです。 最高の情報を手に入れることができて最高のアドバイスや支援を提供できるところであればどこでもよかったのです。” そこで、米原子力専門家を官邸に常駐させたいと申し出たが、日本側の情報提供は遅々として進まなかった。 |
事故後日本側との調整にあたった米国務省ケビン・メア元日本部長
“ワシントンの人たちは、なぜ日本政府は情報をよこさないかと聞いてきました。” 私は“彼らは情報を隠しているのではなく持っていないだけなのだ”と答えました。 |
菅総理(当時)
“当時は、米国なども何か日本が隠しているのではないかと、隠していたつもりは本当言って全くないんです。 しかし、正確な情報が伝わらなかったり、或いは、こちらの言っていることが本当に現場に伝わっているかという事は、きわめて怪しかったのですから、(政府と東電)一体のものを作ろうと、現場と東電本店と官邸が伝言ゲームをやっていたのでは物事が動きません” |
ただ、一点だけ、先の拙文≪SPEEDI(スピーディ)の問題点≫に引用させて頂きましたが、下村健一氏(内閣審議官)の、次の発言です。
(詳細は拙文をご参照ください)
……官邸にいて、菅総理や、枝野長官から、しょっちゅう周りの人たちに出ている言葉は、“いいか、不都合なことがあっても隠すなよ!”と、 “ただ不確かなことは流すなよ”と、いうこの二つが結局今に至って思うんですけど、非常に難しいせめぎ合いだった。 まさにメルトダウンの件はそれだった。…… |
枝野幸雄官房長官(当時)
“大変深刻な事態であっただけに、冷静に落ち着いて話をしなきゃいけない、そのことに注意しました。 もう一つは入ってくる情報が少なかっただけに、知っている情報は出来るだけ早く正確にすべてお伝えしなきゃいけない。 その二つの事を留意してやったつもりです。” |
ここで先の拙文≪恩人(菅直人氏)を叩き出した私達≫の一部を再掲します。
……「東京新聞(2011年9月6日:菅前首相への独占インタビュー)」の記事をご覧頂けましたら、菅直人氏が、私のみならず、私達の「恩人」であり「救世主」でもあった事に御納得頂けると存じます。……
更に、東京新聞の記事を抜粋します。
−一番危機感を持った時期は? 東京に人っ子一人いなくなる情景が頭に浮かんで、本当に背筋が寒くなる思いだった」 −そういう経験を踏まえでの脱原発依存宣言だったと。 「3・l1前は、安全性をしっかり確認して原子力を活用していくスタンス。私自身『日本の技術なら大丈夫』と思っていたが、3・11を経験し、考えを変えた。円を百`、二百`と広げる中に人が住めないとなったら、日本は成り立たない。十万、二十万人の避難だってすごく大変だが、三千万人となれば避難どころではない。そのリスクをカバーできる安全性は何か、と考えた。それは、原発に依存しないことだと」 |
このような、菅さんの危機感を共有しつつ、マスコミ又私達は「菅バッシング」を行ったのでしょうか!?……
この菅さんの“「最初の一週間だ。東京に人っ子一人いなくなる情景が頭に浮かんで、本当に背筋が寒くなる思いだった」”との思いが、原発事故対策中の菅さんの頭を占めていた筈です。
「東京に人っ子一人いなくなる情景」は、原発の爆発以外に、風評被害でも引き起こされるでしょう。
従って、“いいか、不都合なことがあっても隠すなよ!”の後に、“ただ不確かなことは流すなよ”を続けざるを得なかったのだと存じます。
又、古舘さんの番組に戻りますと、
12日から15日までの4日間で、住民たちは不思議な光景を目撃していた、 3月12日以降 浪江町の津島地域やその周辺で活動していた、白い防護服を着た男の存在だ。 白いワゴン車で来て、白いマスクもして、白い服も着て、なんであの人たちは着ていて、自分たちには何の指示もなくて不思議に思った。 彼らは何者で何をやっているのか? その中で、たった一人防護服の男からこう声を掛けられた住民がいた“頼むから、逃げてくれ”その人が “なんでこんな処にいるんだ、頼む逃げてくれ、30キロ以上福島方向に向けて” |
その後この声を掛けられたお方は、20人ほど誘って避難されたとのことです。
スピーディー:文部科学省の管轄で、官邸にもここを通じて伝える組織 文部科学省 科学技術・学芸政策局 渡辺格次長 “かなり早いタイミングで避難指示が同心円状で出ていたので、そのあとで、あえて「SPEEDI」を使うべきと進言する必要性は全く感じておりませんでした。” 更に、“事故の状況を一番知っているのは保安院、必要があれば保安院の方から官邸の方へ「SPEEDI」の情報は行っていると当時は思っていた。” 当時、原子力安全・保安院の責任者は、寺坂信昭院長(当時)、45回も「SPEEDI」で予測をしておきながら、官邸に伝えなかったのはなぜか? 音声のみという条件で取材に応じた。 “放出源データがわからないとなると、「SPEEDI」をあてにしてもしょうがないという意識ですね”45回も行った理由は“避難区域が次第に拡大していったり、ベント作業をするとか、何かの時に役に立つとか、そういう意識だったのではないか” 実際の放出量のデータが事故の影響で分からず、仮の数値を入れた「SPEEDI」のデータは使い物にならないとする保安院。 |
この件に関して、毎日新聞(2012年3月1日)に、次のような内閣府原子力安全委員会の班目春樹委員長による1日の衆院予算委員会での発言を目にします。
……自民党の梶山弘志議員が放射性物質の拡散を予測するSPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測システム)の避難への活用について質問。班目氏が「このような予測手段で避難を決めている国は世界中どこもない」と活用は不適当との考えを示す…… |
又、番組報道に戻ります。
3か月たってから実際計測を使って(3月15日を)シミュレーションは、当時「SPEEDI」がはじき出していた予測図とほぼ一致している。仮の数値でも「SPEEDI」の情報は正しかったのだ。
寺坂氏
“官邸から「SPEEDIを」とくれば出してると思うんですよね。指示が来て出さないというのはないですから” |
朝日新聞 上地兼太郎記者
“「文部省」「保安院」「原子力安全委員会」の中だけでとどまってしまって、相互が重なり合い(“協調協力為合い”の意味と存じます)、政府中枢 官邸に上げることまでは自分たちの責務でないと思っていた、お金をかけて整備した「SPEEDI」が計算のシステムはきちんと動いていたけど、それを扱う人間の方に問題があった”と考えています。 |
去年10月原発事故を想定した訓練 実は「SPEEDI」は過去の訓練の度に使われてきた 菅総理“責任という意味ではすべて政府の責任、最終的には私の責任 早く(「SPEEDI」を)活用するという姿勢があれば、もっと早いかたちで二次的な意味の避難の範囲を決めるときに活用できたり、(「SPEEDI」で)危険性を事前に察知することができたという意味では、非常に対応がまずかった” 「SPEEDI」の予測が行われている浪江町やその周辺の地域では、実際の放射線の計測も始められている。住民たちが目撃したあの防護服の男たち、調べてみると3月12日から15日に計測していたのは、「福島県」「原子力研究開発機構」「理化学研究所」などの複数の機関だった。これはこの時の各機関の計測データ 実測のデータに関しても「SPEEDI」同様、住民を避難させるべきとの声を誰も上げなかった。 |
しかし、東京新聞(2012年3月11日)に、原子力機構副部門長 茅野(ちの)政道さん(56)の談話が載っていますので一部を抜粋させて頂きます。
◆SPEEDI「生みの親」避難に使われず残念 原子力安全委員会から電話があったのは、三月十六日の昼ごろ。安全委のもとでSPEEDIを活用することになったので「来てほしい」と。茨城県東海村からタクシーと高速バスで東京に行き、その日の夜に安全委に入りました。…… その頃は千葉市の日本分析センターや茨城県東海村の日本原子力研究開発機構(原子力機構)でも大気中の放射能濃度のデータが取れるようになっていた。そのデータも使い、「逆推定」をやりました。 計算結果の図を初めて公表したのは三月二十三日。図が出来上がったのはその日の朝でした。原発から三十キロ以上離れた所で、甲状腺被ばく線量が一〇〇ミリシーベルトを超えるとの予測が出て驚いた。すぐ委員に連絡し、首相官邸に報告しました。…… |
この「大気中の放射能濃度のデータが取れるようになってそのデータも使い、「逆推定」をやりました。
計算結果の図を初めて公表したのは三月二十三日。」の結果、次の「SPEEDIプレス発表内閣府原子力安全委員会(平成23年3月23日)」となったのだと存じます。
緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)の試算について 【経緯】 原子力安全委員会では、3月16日より、緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)による試算のために、試算に必要となる放出源情報の推定に向けた検討をしてまいりました。3月20日から陸向きの風向となったため、大気中の放射性核種の濃度が測定でき、限定的ながら放出源情報を推定できたことから、本システムの試算を行うことが可能となりました。 これをもとに試算した結果は、別紙のとおりです。…… |
勿論、茅野政道氏は、次のように話を続けられております。
“SPEEDI「生みの親」とすれば避難の判断に用いられなかったのは残念です。マニュアルを読めば、放出量が分からなければ避難などの対策に使えないとなるが、緊急時はそんな話ではないでしょ。臨機応変にやらないと。” |
確かに、茅野政道氏の御憤慨はもっともですし、浴びなくてはならない放射能を浴びられた方々には、誠にお気の毒ですが、未確認情報の輪が広がり、福島市民、ひいては東京都民の避難までに発展することを恐れ、“いいか、不都合なことがあっても隠すなよ!”の後に、“ただ不確かなことは流すなよ”の判断基準から「実測データが伴わない時期では、SPEEDI情報」も“ただ不確かなことは流すなよ”の範疇に入れざるを得なかったのではないでしょうか?
もちろん、今回の実績を踏まえ、次回からは(あってはならないことですが)「SPEEDI情報」は真っ先に活用されるでしょう。
そして、先の下村氏の述懐に戻り、「メルトダウン」に「SPEEDI情報」が加わるのだと存じます。
“いいか、不都合なことがあっても隠すなよ!”と、“とにかく情報を出してゆくからね”と、繰り返し繰り返し聞きました。…… “ただ不確かなことは流すなよ”と、いうこの二つが結局今に至って思うんですけど、非常に難しいせめぎ合いだった。 まさにメルトダウンの件はそれだった。…… |
私は、菅さんと、菅さんに依頼されて内閣審議官に就任され、菅さんを支え続けてこられた下村健一氏の発言内容を信じ、菅さん並びに下村氏に深い感謝の意を捧げたく存じます。
更には、≪責任を負う菅さんに責任を押し付ける方々≫へと続けさせてください。
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